2019年12月9日月曜日

中村哲さんがアフガニスタンで12月4日に銃撃されて亡くなった。35年間にわたって世界で最も厳しい土地と人間の間で、乾いた砂漠を緑の水豊かな土地に変えて行った。初めは医師として医療診療所に現地の患者を治していたが、人間の健康や幸せが、患者を治すことによる数の限界を知って、灌漑による水の導入による落ち着いた生活によって、もっと多数の人々を現実に救えるということに気がついて、個人として用水路の建設を始めた。
ただのアイデアだけの人でなく、行動の伴う知性の、また無私の人だった。福岡県の伝統的な水路の工法を取り入れて、自ら設計し、自らトラクターや堀削工事機材を動かし、肉体労働者として進んで誰よりも重労働に取り組んだ。一度口にしたことは必ず実現させた。生活の全てを投入した無私の行動によって、アフガニスタンの人々の信頼を得て、数千ヘクタールの荒野を緑の豊かな土地に変えて、数万人の生活が安定し、農業による平和な生活を得る事ができた。
徒党を組んだり、偏狭な正義感や、狭い宗教観や覇権を争う政治運動から遠く離れて、一人の個人が私利私欲を離れて、どこまで世界や人々の生活を救い変えることができるかを、行動で示した。数億、数十億の人間にただ一人の稀有の人だった。
瞳が実に静かな顔をしている。暴力性の皆無の人が、人間の現実の一部である粗暴な暴力に倒れた。
悲しみは現地の人々だけでなく、深淵の様に深い。

2017年に、京都環境文化学術フォーラムで行われた、中村氏本人の記念講演をyoutubeで見ることができます。明晰な論理と実行力が、常識を大きく超えた視野に基づいていることがよくわかる素晴らしい講演を実際に見ることができます。


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2019年12月1日日曜日

11月30日、今年最後の定期開館日を終えて、例年のように美術館関係者のみなさんに夕方から大忘年会を管理棟で楽しんでもらいました。美術館ホームページ作成担当のプロ梶原氏が写真を送ってくれました。全員で8名、酒に話に歌にとても盛り上がりました。みなさんまだまだ元気そうでこれから100年は忘年会も続きそうでチーズケーキも食べ続けてもらいたいものです。美術館には付属した管理棟があり、そこにはキッチンや各部屋があり、岡本は滞在中は自炊して作品制作をしています。
12時頃から外へ出て冬の星座「昴」スバルを全員で鑑賞しました。本州などでは見ることのできない阿蘇高原の澄んだ夜空が広がっています。
写真は梶原氏が撮影してくれて、本人が写っていないのがいつも残念です。
左から、村田、桑原、宇井、服部、串山、手嶋、宮崎の各氏です。(撮影:梶原  編集:岡本)

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昨日、11月30日は美術館の今年最後の開館日でした。天気は気持ちの良い秋晴れの青空が広がり、2006年6月10日の美術館オープンの日から14年目の定期オープンを閉じる最高の日となりました。今年春に完成した「望遠台ロシナンテ」も12月の冬季休館中は積雪に対して完全防護され、登れなくなります。来年4月1日から新作を加えて春のオープンをするまで美術館はしばし冬の眠りにつきます。(撮影:串山  編集:岡本)

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