2020年5月31日日曜日

休館中の美術館に、熊本県南阿蘇在住の、美術館の長年の友人の、ステンドグラス造形作家、塩田さんが、家族の方と一緒に「野の花遊歩道」に咲いているマーガレットの写真を撮って送ってくれました。マーガレットは4年目の「野の花遊歩道」に毎年この5月、6月の時期に見事な白い花を咲かせるようになりました。

2016年4月16日の熊本地震では南阿蘇村は最も震源地に近く、地滑りなどで地形も変わり、多くの住宅が破壊されました。塩田さんの自宅、工房も大変な被害を受けました。16日早朝、家に残されていた愛犬モクを救出に、自衛隊隊員が地滑りなどで危険すぎると制止するのも振り切って、たった一人で地震後の地形の変わった我が家を目指し、庭につないであったモクを見事に救出しました。それから2年半、倒壊寸前の自宅建物を業者に根気良く再建してもらい、熊本市の娘さんの家でモクと一緒にしばらく猛暑の夏を過ごしました。地震の被害に会った人々は大変なストレスで、多くの人が病気を発症し、塩田さんも去年は自宅の再建完成と同時に入院しましたが、これも不屈の精神で乗り越えて、今は健康を取り戻しています。今では娘さんと遠出して春のよい気候を楽しめて、ステンドグラスも精力的に制作しています。熊本の女性は一見小さくても、強い不屈の精神を持っていることに、心から感心しています。(撮影:ステンドグラス作家塩田さん  編集:岡本)

クリックすると大きく見えます。

2020年5月29日金曜日

美術館は休館を継続しています。規制の解除が進んで、日本中であちこちで第二波のコロナ感染の発生がまだまだ懸念される状態です。
普段は受付に仕事してしていただいている、宮崎さん、手嶋さん、串山氏の3人と宮崎さんの娘さんの最近誕生したばかりの赤ちゃんに、久しぶりに美術館の事務所に集まってもらって、しばらく動かしていなかったプリンターやスキャンで事務的な仕事をしてもらいました。娘さんの若い人のエネルギーとパソコンの知識もあり仕事はあっという間に順調に終わりました。ちょうど梶原氏にこの集合写真を撮っていただきました。
かわいい赤ちゃんも元気に育って、「野の花遊歩道」にミヤマキリシマも元気に咲いているということです。
ミヤマキリシマは海抜1000メートルの美術館から上のこの辺りの高原にこの時期だけに咲く貴重な美しい高原植物です。
(撮影:宮崎、串山、梶原氏  編集:岡本)クリックすると大きく見えます。

2020年5月27日水曜日

美術館はコロナ危機のために休館を慎重に継続しています。
美術館の動く立体作品展示室の「動く岩」4、7メートル作品は、ニューヨーク セントラルパークの実際の岩を型取りして、鋳込んだ作品です。型取りにはヘルパーの若者たちと10人で10日間をセントラルパークの現地で、レイテックスゴムと石膏で型を作っています。桂子は岩の頂上で石膏を塗ったり、型を26丁目の自宅仕事場へ持ち帰った後も、肉体労働をヘルパーのクリスと一緒に働きました。今は大学で学生に日本語を教えていますが、全くこんな肉体労働もなかなか出来ない珍奇な経験だったでしょう。
思えば、私の父親は1945年3月10日にはアメリカ空軍B29の爆撃機大編隊による東京大空襲に遭遇し、死者10万人の大火災の中を大岡山東工大の駅前から伸びているコンクリートの塀によって、町を焼き尽くす巨大な火炎の伸びて来る度に塀の反対側に移ることによって、生き延びました。
同じ頃、母親は子供達を連れて中国地方へ疎開していましたが、そこでも、赤ん坊の私と従兄弟を乗せた乳母車を押して空襲の焼夷弾の無数に落下してくる爆弾の中を逃げ惑いました。数万の死者がありましたが、幸運にも家族は全員が翌朝教えておいた橋の下に全員が無事に集まることが出来ました。
桂子の父親も広島駅で原爆の瞬間に遭遇していますが、火傷を負ってすぐ現場を離れて半日かかって自宅に歩いて帰り、背中にケロイドは残りましたが80才を越えるまで生き延びました。桂子は戦後に生まれて、家族全員が無事でした。
1945年8月に日本は無条件降伏をして、それから焼け野原になった東京で私は育ちました。米国は日本の児童の全員が困窮して、栄養不足だったので、脱脂粉乳を小学校に寄贈してくれ、それは実に不味いものでしたが、そうして我々子供達はいつも腹を減らしていた日々にわずかな栄養をつけて育ちました。
戦争は互いにできるだけ破壊暴力粗暴の限りを尽くして、あたり一面の荒廃しか残しません。私の子供時代は日本中でほぼあらゆる家庭が貧困の清貧生活でした。
今回のコロナ危機も人類の世界的な戦争と言えます。爆弾が空から降ってこないだけ、マシと言える状況です。
私の上の世代は戦争によって全てを失って、人生を全く狂わせました。私の世代のそれからの日々は実際の爆弾の戦争に巻き込まれることはなく、私個人は芸術という仕事に専念できて来たのは幸運であったとさえ言えます。

家族、同胞に爆弾を浴びせたアメリカに50年も住んで仕事をして、今もコロナの危機をニューヨークに過ごしているのは、全く不思議な運命の織りなす巡り合わせというよりありません。
クリックすると大きく見えます。





2020年5月22日金曜日

美術館はコロナウイルスの為、まだ休館中です。美術館を通して、入館者や美術館関係者の一人たりとも誰にも感染を広げない、という強い意思を持って休館を続けています。決して軽く見てはならないウイルスです。
その休館中の美術館に普段は受付を担当してもらっている、串山氏に出かけてもらって「野の花遊歩道」の開花状況を見て来てもらいました。
静かな美術館の周辺にはホトトギス、シジュウカラ、イカルが囀って、ウグイスも鳴いているという事です。今年は人間の数が少ないので、ここ数年来、姿と声をほとんど聞かなくなっていたホトトギスも盛り返して来たようです。嬉しい気待ちがします。
自然は互いに常にプラス、マイナスのバランスによって、年を重ねていきます。今回のコロナも自然界の一つの現象です。人間ももちろん自然の一部ですから、単純な善悪の判断など大きく超えて、自然界は全て複雑な錯綜した現象の織りなす積み重ねによっています。
「野の花遊歩道」には今、「戸畑アヤメ」が、あでやかで、品格のある青空の色の花弁を存分に春の風にそよがせて咲いています。毎年ですが、本当に嬉しいことです。(撮影:串山  編集:岡本)

クリックすると大きく見えます。