昨日5月5日火曜日は、もし予定通り美術館に滞在していたら、ニューヨークへ向けて成田空港から午後4時に帰途に発っている日でした。今の状況は、飛行機の国際便は週に1度のみになっています。予約していたANAは毎週水曜日だけになっています。果たして6日の水曜日の席が取れたかどうか、又、毎回成田空港で出発を待って前日から予約一泊している成田ビューホテルは3週間ほど前から全館が休館になっているとメールが来ています。ホテルが無いので、東京で路頭に迷うことにもなりかねません。また、日本からニューヨークに到着しても2週間の隔離が義務付けられていて、すぐに自宅に帰ることも許されない状況です。種々の状況が3月以来大きく変化しています。国際間の旅行は今やコロナ難民になりかねない状況です。
ニューヨークの様子はまだまだ先が見えていません。感染者、死者ともに大変な数字になっています。生活も3月以来大きく変わって、自宅穴居生活を誰もが続けています。普段から自宅で仕事の私は全く変わら無いペースで仕事を続けていますが、桂子は大学が閉鎖になり、自宅からのネット授業になりました。ネットのパソコンでの授業はパソコンが故障しないように、というのが最も重要です。十数年前の昔ほどではありませんが、パソコンの性能が上がった今でも稀にはパソコンはクラッシュすることもあり、先日1度桂子のパソコンがクラッシュした時は大変でした。翌朝には授業があるのにパソコンをいろいろやっても全く開かなくなっていました。
私もパソコンについては20年ほどの経験があり、全て誰に学ぶこともせず、自力でいろいろ仕事の必要に迫られて、独力で自らを鍛えて、画像処理のフォトショップについては今ではプロ級で、横から見ている人には魔術のようなスピードで仕事していると言われることもあります。しかし長年の間には、種々の問題を自分で解決したり、又どうしても手に負えない場合は近所の23丁目にTeck Serveというマックの技術者がいつも待機していた場所に持ち込んで問題を解決して来ました。こういう積み重ねが今の私の全仕事を支えています。今回の桂子のパソコンのクラッシュは、7、8年前に私がこのマックの技術者に持ち込んだ時のケースに似ていて、長年保持している私のパソコンのファイルからその時の解決法を引っ張り出して、やってみるように言いました。パソコンというものはこういう危機的問題の場合に自分の経験や知識で互いに助け合うことができます。この日もこれによって解決し、翌朝の授業を無事に始めることができました。これなども、もし美術館に滞在していたならニューヨークは遠すぎて状況もすぐには掴めないので、桂子は一人で困っていた事態でした。
生活全般について、今の危機的な世界コロナ戦争の日々は、やはりニューヨーク、日本とバラバラに生活をしなかったのは、少なくとも正解だった、と言えるようです。
写真は風通しの良い静かな陽射しのマンハッタンの近所25 St / Broadwyayの交差点で、犬のムクとの1枚です。
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