2021年2月25日木曜日

 美術館は冬季休館中です。コロナ危機のために春のオープンの時期をいかにすべきかを慎重に熟慮中です。人命こそが一番大切です。

休館中の美術館に受付担当の串山氏が出かけて「野の花遊歩道」に咲いている「福寿草」の美しい黄色の花を写真に撮って送ってくれました。福寿草は毎年春一番に咲く、小さな愛らしい花です。自然は季節を忘れることなく必ず咲いてくれます。「こち吹かば〜、、』と菅原某氏が数百年前のある日「、、あるじなしとて春な忘れそ〜、、」と涙ながらに歌わないでも、自然は決して忘れることはありません。

この黄色の「福寿草」は2月から4月の早春に咲きますが、福寿草が終わったあと、全く同じ場所に4月からは毎年「オダマキ」が白と紫の品位のあるすがすがしい花を沢山咲かせます。こうして季節によって自然界は同じ場所でも種類を交代して繁栄しているのです。これこそが自然です。日本中で流行している花公園で、同じ花ばかりを数万も一挙に植えて人集めをしている金権利益誘導型の公園の姿は全く自然とは別物の、人間による作り物の人工物です。数万も同じ花を植えて咲かせるには他の花は根こそぎ全て捨て葬り去り、無理やり粛清単一化しているのが事実です。これを自然と思って喜んでいる人々は、人間による自然の不自然なファシスト化、全体主義化というほどに歪められた偽りの姿を喜んでいるのです。本来の自然の姿はそこには全くありません。自然とは、次々に異なった多様な種が小さいながらもそれぞれに繁栄している姿にこそあるのです。美術館の「野の花遊歩道」は決して巨大ではなく、むしろささやかなものですが、この自然の本来の多様な姿を目指すという気宇の壮大さを持っています。

日本人は古来自然を愛してきたのですが、時代のくだらない風潮によって自然とはほど遠い人工物を、偽って自然と間違えさせられてしまっています。これも現代のポピュリズムの醜悪な一つの現象です。

「福寿草」の咲いている地面に敷き藁を沢山敷いてあるのは、美術館の「野の花遊歩道」の4年前の開始の当初からブレーンとして豊富で貴重な経験と苗の植え付けの知識を提供していただいている、南小国町の斎藤さんがこの冬の間も時々手を入れてくれた敷き藁です。「野の花遊歩道」もこういう人たちのおかげで毎年元気に根を定着させ、安心して咲いています。目下100種類を越える草花が、季節によって次々に咲いている姿を見ることができます。(撮影:串山  編集:岡本)

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2021年2月4日木曜日

 コロナ危機は未だに全く気の抜けない状況です。美術館はできるだけ早く今年の春のオープンをするつもりでいますが、人命こそ最優先にしなくてはなりません。事態の推移を慎重に見守って開館の時期を検討していきます。

美術館ホームページの制作担当の梶原氏が美術館に行って周辺をチェックして写真を送ってくれました。阿蘇の雄大なパノラマ風景は微塵も変わりがありません。例年冬には美術館周辺を掘り返して家族で楽しい団欒の時を過ごすイノシシも今年はまだその気配がありません。平穏な良い天気の下に美術館も普段と変わらず落ち着いています。完成して1年半になる「白い展望台:ロシナンテ」は阿蘇の連山の展望の日々を一人で静かに過ごしています。

梶原さんはプロ級の磯釣りの息子さんと一緒に大海原を前にした雄大な磯釣りの写真を送ってくれました。気分爽快な大海原、荒磯のここまではコロナも追って来ないでしょう。

ニューヨークでは作品制作の日々を淡々と続けています。芸術は短期決戦のものではありません。長い準備期間と手順を追って、構想をどのように実現していくかという長期にわたる計画性に基づいて制作しています。40年、50年にわたる何万枚もの写真撮影の資料の整理と、そこから一歩飛躍したオリジナルな新たな発見こそ芸術の真価です。芸術とはこの現実世界に実在していながら未だに誰一人気づいていない新たな局面を切り開いて行くという、冒険と探検の日々の積み重ねから成立する作品の創造の世界を言います。この世界で最も困難で最も細い道をただ一人で辿っていきます。公園にはその助手ともいうべきスズメとリスが犬のムクと毎日やってくる一人の人間を40年以上にわたって日々待っていてくれます。(撮影: 梶原氏、岡本  編集:岡本)

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