2020年5月17日日曜日


今年の2020年のコロナパンデミックはまだ終息が全く見えていませんが、美術館にとっては、重大な危機の一つです。
しかしまた、2016年の「熊本地震」も大きな災害の危機でした。美術館は4月16日の深夜に地震により震度6の激震に襲われて、私はニューヨークにすでに帰っていましたが、翌朝すぐに「動く壁」の大理石が破壊されたという報告を受けました。
被害の写真を送ってもらい、被害の模様を見ることができました。大理石は1、8メートルx1、2メートルで厚さ3、5センチの非常に重量のあるスラブが4枚とその半分の幅の60センチのスラブ2枚が、内部に作ってあるアルミ製の丈夫な金属箱に取り付けてありますが、この大きなスラブが1枚半と幅の狭いスラブ2枚が壊されていました。
非常に危険な状態ですぐ美術館は閉館して、立体作品展示室の部屋のドアは誰も私が行くまで入らないようにシールで閉鎖してもらいました。それから7月半ばまで余震は震度5から3、そして1へと弱くはなって行きましたが、2000回も起きて、美術館の小国町在住の皆さんは、一時は車中生活でしたが、家に戻っても地震の日々の連続でした。私もニューヨークでインターネットで地震情報を毎日見続ける日々は、今のコロナ危機の日々とほとんど同じ気持ちで緊張して情報を見続けていました。
7月の半ばに地震もようやく収まって来たので、美術館に到着し、「動く岩」の対策を考えました。ニューヨークで、修理はいろいろなケースでシミュレーションして考えていましたが、「動く岩」の被害は限度一杯の最悪に近く、大理石の復元は全く無理でした。作品全体が倒れなかったのだけが幸いでした。
作品の形態が高さ1、8メートル、幅60センチで、長さ2、4メートルですくっと立っていたのは、ニューヨークでのオーケー・ハリス画廊やロングアイランドの画廊での個展では、地震はニューヨークでは全くないので大丈夫でしたが、美術館の2006年のオープン以来、この形態で2016年まで10年間全く問題なく動き続けたのですが、日本のような地震多発国ではこれから将来も動かし続けるのは全く無理と判断して、作品の周囲を高さ90センチの箱を作ることに決定して、すぐに作業にかかりました。
串山氏とニューヨークからやってきた桂子に時々材料板の端を持つヘルプをしてもらって、ほぼ一人で2週間かけてこの白い頑丈な直方体の箱を完成させました。8月1日には無事美術館を再度オープンすることが出来ました。美術館オープンを祝って美術館関係者全員で美術館に付属した管理棟で乾杯の祝杯を上げたのは、非常に楽しい思い出になっています。
今回のコロナ危機もいつの日か終息し、全員が感染することなく、健康でもう一度オープンを祝って祝杯の日が来ることを信じています。
写真は⑴現在の「動く壁の2016年熊本地震のモニュメント」のある立体棟全景と⑵ 地震前に10年間動き続けた「動く壁 / Moving Wall」と、⑶ 動く立体作品の40年前のニューヨークでの金属内部構造の製作時と⑷「動く壁の設計図」3枚です。
⑶、⑷の金属内部構造は全てを設計し、ジグソウなどで切断、ドリルで数百の穴あけをしてボルト・ナットでの組み立てをしています。各作品完成には、ほぼ半年から2年をかけています。(撮影 / 編集:岡本)
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