2020年8月30日日曜日

 コロナ危機はまだまだ、先が見えていない状況です。日本各地で感染者数が増える勢いが止まっていません。

美術館は、決して感染者を出さないと、休館を強い決意と意志で続けています。なんとかワクチンの完全な完成が完了して、誰もがワクチンを接種できる平和な日が1日も早く来ることを祈っています。

東京の重松ご夫妻様より、私、岡本の小学校1年から絵画を教わった、松永光玉先生の残された作品を長年大切に所有されていた重松武彦氏の、先生の作品を世に残しておきたいという御遺志から、写真を送っていただいて、岡本陸郎美術館に寄贈をされたいという、御申し出がありました。

どなたかに取りに来てもらえたら、という申し出をいただいて、コロナ危機の中を私の小学1年からの同級生で松永先生の画塾にも一緒に親しく通っていた、海老根氏がご夫妻で車で重松氏のご自宅に伺って、横78センチ、縦98センチというかなり大きな大切な作品を受取ってもらいました。

松永先生の芸術家としての真摯な姿勢が、こうして松永先生の画塾から70年も経って多くの人々の心を動かしていることに、先生の真直な人柄の柔らかさと大きさを強く感じました。美術館にはすでに、先生の「爽」という83歳で制作された二曲一双屏風が、2006年6月10日の美術館開館の時から、先生のご家族の、 私の小学校1年から4年の同級生れい子さんとその兄上から寄贈をいただいて、常設でずっと2階の展示室に展示されています。

先生は、この1、5 メートル x 3メートルの大作「爽」を制作されるにあたって、波の白の発色のために、宝石並みの高価なプラチナを惜しげも無く下地にふんだんに貼り詰めて用意され、、その上で描き始められました。完成作品を見る人々はそのプラチナに込められた先生の凄まじいほどの芸術への熱意に気がつく人は稀です。真の芸術家は一般の人々の価値観を大きく超えて、ほとんど無用ではないかと思えるほどの、一種おかしみさえ伴った熱意の集中というエネギーを全て注ぎ込んでいるその姿は、下地の部分にほんの少しチラとしか見えませんが、そのまさにドン・キホーテの何者にも屈せぬ熱意こそが、芸術家の生きる糧であり、この人間世界の吹けば飛ぶような日常の連続の中で、キラリと光って人の心を打つことのできる真剣のような切れ味を見せて、こうして70年後の次の世代の人々の心を打って、誰もが自ら進んでその残された作品に胸を打たれる事をいとわぬものとなります。

私は幼少の頃から、大学在学中の先生と二人だけの10日間の長野県への写生旅行や、先生の日々日常の制作の姿をすぐかたわらで見ていました。私が1969年からの50年にわたって、遠く太平洋を越えてニューヨークの地にありながら、今も日々10時間製作に集中して、全く倦む事なく、揺れることのないのは、先生のこの芸術への人一倍の打ち込み方と、それを見ていた私を先生が自分を継ぐ者として、亡くなるまで家族、親族のように親しみの近さを持ち続けていただいたことに、私も芸術家として徹底したドン・キホーテぶりを安心して、今でも続けていられるエネルギーを受け継いでいます。

寄贈していただいた作品「日光華厳の滝」は、来年コロナの収束後に私が美術館に到着を待って、美術館に運ばれ、「爽」の隣に並べて展示されます。重松武彦氏と、重松氏ご夫妻、海老根氏ご夫妻のコロナ危機をいとわない御努力に、ありがとうございましたと、最大限の敬意と感謝をいたします。(撮影:重松氏、梶原氏  編集:岡本)

美術館ホームページの松永先生作品の2階展示室のページは:http://www.rikurookamotomuseum.com/upperfloor.htm  です。

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