本来なら今日4月1日は、美術館の春のオープンの爽やかな風の吹き抜ける特別の日でした。残念ながら今年は今日の開館を見送り、しばらく新型コロナの推移を見守って、熟慮して慎重にオープンの日をこれからも考えて行きたいと思っています。
ニューヨークは誰もが日々穴居生活のはなはだシンプル生活です。時々みな住居の穴倉から出て、新鮮な空気を吸う事だけが楽しみの精進生活を誰もが続けています。それもだんだん慣れてくると、かえって気持ちの良い、余計なもののない、これこそ穴居時代から我々の遠い先輩人類たちが、全ての面において贅沢や奢侈を極限にまで制限して生活していたシンプルライフの再現のようにも思えてきます。
私のような芸術家は大体普段からシンプル生活で、ほとんど変わりがありません。
起きてから寝るまで仕事制作の日々を淡々と続けています。それでもひとたび仕事制作となると真剣勝負のような緊迫感が身内を突き抜けて、どんなに寒くても上半身裸で数時間は連続して、コロナなど忘れて立ったまま没頭しています。
家内の桂子は教えているコロンビア大学の授業を全て我が家からパソコンによるWebクラスでしています。生徒は全てニューヨークやアメリカの各地のそれぞれの自宅と、留学生は日本、中国、韓国、ヨーロッパなどの自宅に帰って、授業はニューヨークで午後4時のクラスは向こうでは12時間違いの午前4時のクラスにもなる人もいます。Zoomを使ったクラスは急いで全員が習得し、テレビ電話ばかりでなく同時に教材も同じ画面で見えて、宿題を出して、解答を送って来て、それを直して送り、と全てこれまで紙の文化であったものがネットによる通信の文化に置き換わって
います。
静かに音を立てないように制作をしているこちらと同じ室内の授業なので、その内容は 全てこちらの耳にも入ってきます。日本語の授業といってもなかなか高度な内容で、3年生になると今日の授業は「山中教授のIPS細胞について」各人のIPS細胞についての意見なども聞きながら授業は進められ、日本語も相当高度で、日本人の一般大学授業よりむしろ程度は高いようにも、そばで聞いていて感じました。日本語を教えるといってもなかなかバカに出来ない内容で、今までついクラスの実態を知らなかったので、見直しました。これもコロナのおかげかもしれません。
私は普段は制作に一段落がつくと、自転車でスターバックスにパソコン持参で行き、コーヒーを飲みながら事務的な仕事や、文章を書く仕事や、画像処理の仕事をしていますが、この外部のコーヒー付きの書斎が全く無くなったので、急遽自宅に書斎を作る必要に迫られました。
ここ数年、作品制作の仕事に没頭して全く他のことは手が回らなかったために、去年10月美術館関係者の4人の方が日本から、遊びにこの自宅訪問をされた時もほとんど全ての空間が住居というより仕事作品に埋め尽くされて、驚かれ、あきられました。これは普通人の住むところではない、仕事だけではないか、奥さんはよくガマンしているな、という正直な意見も、その通りです、とただうなだれて頷くよりなかったのです。
しかし、今回コロナのおかげで書斎を作ることを強いられ、作品の林立を整理し、種々整頓しました。書斎を窓際の陽当たりの一番良いところに作り、また40年前に自分でデザインして材木から切り出して、純白の化粧板まで貼って作った大きな白いカウチを作品群の下から発掘してみると、我ながらなかなか捨てがたいデザインで、仕上げも丁寧に作ってあり、40年経った今でも十分に使用に耐えられる、気持ちの良いリラックスできる空間も出来て、「コロナの今みんなに来て欲しかったな。」「来るのが6ヶ月早すぎた。コロナを待って来て欲しかった」と冗談さえ出て来ます。
コロナも悪いことばかりではない、ほとんどコロナ一色の厳しい非常事態に少なくとも明るさを持ち続けようとしています。
とにかく皆様、外へ出ないように!!!感染すると、隔離病棟で家族、友人、兄弟、娘、息子も見舞いにも行けない、亡くなってさえ志村けんさんの兄弟は遺体に対面も許されない。たった一人で死亡します、恐ろしい病です!!!
どうか元気にこの難局を乗り切れますように、そしていつの日か、また元気に笑って会えますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿